第二章

日本人(にほんじん)で、片言かたことはな幼児ようじをふくめて「おりづる」たことのないひとは、ごくまれだとおもう。
だから、「おりがみ」のことをまったくらない外国人がいこくじん先入観せんにゅうかんなしに「おりづる」をせて、

「これ、なんにえますか?」


いたら、なんとこたえるか興味深きょうみい。「とり」というこたえはかえってきても、「つる」とはけっしてわかってくれないはずだ。


「おりづる」には、うしろにぴんとったがあり、かまをもたげたようなかたちほそくび羽根はねひろげているところをるとんでいる姿すがたにはちがいない。しかし、実際じっさい「つる」にそんなはない。本物ほんもの「つる」にはなが二本にほんあし身体からだとほぼ水平すいへいうしろにびて、かぜ抵抗ていこうけている。というほどのものはごくみじかいし、あたまも、くびばした格好かっこうのほうが実物じつぶつちかいだろう。


さて、いま「おりづる」かたちとしてこうなったのは、かなりふるいことのようだ。有名ゆうめいな「千羽鶴折形(せんばづるおりかた)」という、現存げんぞんする世界せかい一番いちばんふるい「おりがみ」のほん発行はっこうされたのが、1797年、江戸時代えどじだいなかばのことだが、その序文じょぶんに、「むかしよりある つねのつるのおりよう いずれもこのとおりにり・・・」として、「おりづる」の展開図面てんかいずめんせ、りあがりもすべて現在げんざいの「おりづる」とわりがない。つまり、そのころすでに「おりづる」の現在形げんざいけいができあがっていて、しかも、ひろくれわたっていたことになる。おそらく平安時代へいあんじだいにまでそのげんがさかのぼれるのではないだろうか。野性やせいの「つる」のかたちからけでて、デフォルメされたかたちが、作者さくしゃをこえ時代じだいをこえて一般民衆いっぱんみんしゅうけこみ、しかもいま時代じだいになおきつづけているというれいは、そうざらにあるものではない。「おりづる」はまさに、「おりがみ」のひろがり、根深ねぶかさをしめすのに、もっとも適当てきせつな、きた証拠物件しょうこぶっけんといえるだろう。


ところで「おりづる」がながいのちたもっているのには、わけがあり、偶然ぐうぜんではない、とわたしかんがえている。「おりがみ」の特徴とくちょうというか、お手本てほんがみごとにそなわっているのが「おりづる」だ。一つひとつは、真四角ましかくからりはじめ、かみおおきさをすみずみまでかし、むだにりこまず、すっきりとおおきく仕上しあがっていること。ふたには、平面へいめんであるかみから立体りったいかたちづくられている。この「ひろがり」と「立体感りったいかん」が、すっきりととらえられたかたちのよさとあいまって、永遠えいえん傑作けっさくとして人々ひとびとけいれられたのだとおもう。


このように「おりづる」は、日本人にほんじんこころらずらずのうちにいつけられた紋章もんしょうだった。いまさらそのかたち不自然ふしぜんさを、とやかくあげつらうことではない。それが「おりづる」なのだから。このふしぎなもの「おりづる」は、むかしからかぞえて何億羽なんおくばられてきたことだろう。おなかたち創作そうさくモデルが、こんなに大量たいりょうながく、手作てづくりされたれい世界せかいにもなく、しかも将来しょうらいともにりつがれていくことはまちがいない。

2003年 川村 晟 著