第四章

 おさないころわたしは、右京区うきょうく太秦うずまさの、山陰線さんいんせんちかくにんでいたので、よく祖母そふにせがんで、踏切ふみきり汽車きしゃにいったものだ。とおくのほうからしろけむりいて、ごうごうとちかよってくる機関車きかんしゃは、もうわたしちいさなむねをどきどきさせた・・・ 昭和しょうわ五十二年ごじゅうにねん日本折紙協会にほんおりがみきょうかい二年にねんごとに主催しゅさいする「世界せかいがみてん」の第二回展だいにかいてんに、「D51蒸気機関車じょうききかんしゃ」を出展しゅってんしたところ、おもわぬ反響はんきょうてしまったのである。


 横浜よこはま小学三年生しょうがくさんねんせいおとこからまれてはじめてのファンレターをもらった。また協会本部きょうかいほんぶから「機関車きかんしゃ」のかたおしえてほしいとの依頼いらいがきて、東京とうきょうまでかけてもった。講習こうしゅう二時間にじかん予定よていばい四時間よじかんかったにもかかわらず、満席まんせきだれとうとはせず、最後さいぎまで熱心ねっしんみみをかたむけてくださった。


 SLをがみるということはどういうことか
といいうと、まず、いままでのがみは、どれもいくつかの基本形きほんけい集約しゅうやくでき、新作しんさくといわれる作品さくひんも、おのずとその基本形きほんけいから出発し、その延長線えんちょうせんうえつくられてきたのである。SLはボイラーも煙突えんとつ車輪しゃりんもみんなまるいし全体ぜんたい細長ほそながい。まる部分ぶぶんみたてられた機械きかいを、元来がんらい平面へいめん正方形せいほうけいがみ用紙ようしからどうりだすかが問題もんだいだった。

そこで、わたし機関車きかんしゃいままでの基本形きほんけいをまったく無視むしするところからはじめねばならなかった。とはいうものの、らず、のりづけせずに、すべてにまるみのある立体りったいりだすことのむずかしさ・・・ここのとこ
ろを苦労くろうして、結果けっかとしてまるいものを四角しかくることで「よし」とした。できあがってみて、私自身わたしじしんおどろいたことに、四角しかく胴体どうたい四角しかく煙突えんとつにならないのである。八角形はっかっけい車輪しゃりんまるえた。


 この段階だんかいではまだ、正方形せいほうけいがみ五枚ごまい使つかい、あたまと、どうと、車輪しゃりん運転台うんてんだい炭水車たんすいしゃ、をりわけ、ユニット(わせ)している。その数年すうねんのちには、あたまどう運転台うんてんだい一枚いちまいり、つまり三枚さんまいかみでのユニットに改良かいりょうした。さらに数年後すうねんごに、あたまから炭水車たんすいしゃまでをとおして一枚いちまいおりあげたが、そのかわり、もはや正方形せいほうけいを、はみださないわけにはいかなかった。というより、細長ほそながいものを真四角ましかくかみ仕上しあげようとすれば、どこかで、むだな折りこみができてしまう。むだをはぶくには正方形せいほうけいのこだわりをてなければまえすすまない。不切正方形ふせつせいほうけいつまり、りこまない正方形せいほうけいかみからるこの原則げんそくを、不切方形ふせつほうけい」とせいのぞいたのある。これを「規律違反きそくいはん」とかんがえるかたも、もちろんおられるだろう。「不切正方形ふせつせいほうけい」でないとがみではないとこだわられるかた数多かずおおくいらっしゃる。不切方形ふせつほうけい」ががみでないなら、それもいいわたしは思っている。「おりがみ」でなければ「かみおり」でもいい。そこに造形ぞうけい可能性かのうせいがあれば、一人ひとりぐらいそれをもとめてもよいではないか、ゆるされる、とわたしかんがえる。

2004年 川村 晟 著