第五章

 二千年にせんねん歴史れきしめる「かみ」は、あたりまえのことだが「おりがみ」のために発明はつめいされたものではない。書見(かきみる)が「かみ」の語源ごげんだとひとがあるぐらいだから、かみくためのもので、かるくてうすいこと、保存ほぞんがよくくことが大事だいじ特質とくちょうだ。それまでたけいていたので、それからするとじつ手軽てがるで、場所ばしょらず、また絹布けんぷ(シルクを使つかったぬの)のように高価こうかでもなく、なにより大量生産たいりょうせいさん可能かのうとなった。人類文明じんるいぶんめい大発明だいはつめいだったわけだ。くための改良かいりょうなり工夫くふう次々つぎつぎくわえられていった。しろさを方法ほうほう、にじみめ、よりなめらかに、もっと光沢こうたくを・・・と。そのうえったりたたんだり、ばしたり、ひろげたり、ったり、ったりすることが出来でき、そんな特徴とくちょうが、より簡単かんたんな、コンパクトなうつくしい装丁そうてい製本せいほん可能かのうにしたのである。


 英語えいごのペーパーの語源ごげんが、パピルスから来ていることは、よく知られているが、日本語にほんごの「かみ」についてはまだこれという定説ていせつがないらしい。
 あらゆる文明ぶんめいみなもとである中国ちゅうごく発明はつめいされた「かみ」は、母国ぼこくでは、その経済性けいざいせい即座そくざ発揮はっきすることができたが、当時とうじ後進国こうしんこく日本にほんに、はじめてかみがもたらされたときには、製造法せいぞうほうはおろか、使用法しようほうさだかでないまま、ただただ、ありがたいめずらしい「献上品けんじょうひん」として、我々われわれ祖先そせんはうやうやしく神殿しんでんかかげたのである。かつて文字もじいた木簡もっかん意味いみからず祭壇さいだんまつられたように、純白じゅんぱくやわらかいかみが、ささげものとしてそなえられ、やがてご神体しんたいとしてまつられたとかんがえてもおかしく
ない。かみ」は「かみ」だから「かみ」とばれるようになった・・・これが「かみかみかみである。

 では漢字かんじの「かみ」にはどんな意味いみがあったのだろか。「いとへん」については、これはもう植物繊維しょくぶつせんい意味いみすることはあきらかだ。左側ひだりがわの「」について、あるほんによれば、うすたいらな、へらのようなものを意味いみするといてある。きくだいたあさ繊維せんいみずといっしょにかきまぜて、あみきあげてつくる、うすくてかるくてたいらなもの、それが「かみ」というわけだろうか。

 ことのついでに、ペーパーの語源ごげん「パピルス」、これがまたもう一つひとつ文明ぶんめい発祥はっしょう、エジプトはナイルがわのほとりに群生ぐんせいしていた、パピルスそう繊維せんいかためたものだが、いわゆる「かみ」とはなるものである。それでも「かみ」の出現しゅつげんまではパピルスこそが文明ぶんめい象徴しょうちょうだった。パピルスは非常ひじょうつよく、石版せきばんくらべてかるうすく、これがなければ聖書せいしょもなかったし、西洋文明せいようぶんめいもなかったかもしれない。ただパピルスは「り」によわようで、もしかみ発明はつめいがなく、パピルスがきながらえていたら、「がみ」は存在そんざいしなかったことになる。

2005年 川村 晟 著