六
そのむかし、紙が文字を書きとめるための用具となるより前に、いっとき、物をつつむ役目を果たしていたことがあるといわれている。銅鏡などに付着して、つまり、包みこむ状態で「紙によく似たもの」が出土しているのだ。でも、この「つつみこむ」と「つつむ」は区別したほうがいいように思う。蓮の葉っぱでも物をつつむことはできるのだから、この状態は「くるむ」と言いかえたほうがピッタリではなかろうか。中の物を保護するのが目的の「くるむ」は目的さえ達すれば、紙である必要はないわけである。
紙はもともと文字を書きとめる手段として発明されたので、それが包み紙として使われるには、かなりの時間を費やし、紙の質がよくなるとともに、普及によりコストも下がるのを待たなければならなかった。特にわが国で「紙つつみ」が一般化するまでには、「紙」の製法の確立、普及に長い年月を必要とし、その上でまず上流社会で儀式としての使用が始まったものと思う。
単に「つつむ」という用い方にとどまらず、いろいろな約束事をともなった形式にまで発達していったのは、これは日本人の気質、あるいは「紙は貴重品」との考えが深くかかわっていたようで、こんなことは世界にもあまり例がないようだ。
「つつみの作法」を著わした最古の書物が、有名な伊勢貞丈(いせ さだたけー1717~1784)の「包みの記」である。むろん、それよりずっと前に、おそらく平安時代にはすでにその一部なりが自然発生していたに違いなく、その後、作法として長い伝統を保ちつづける一方で、少なくとも昭和の初期までは一般の家庭でも、ごく普通に日常事として、さまざまな「のしつつみ」「粉つつみ」「箸つつみ」などを折って実際の生活の場で使っていたのである。何代にもわたって親から子へ、またしゅうとめから嫁へと受けつがれてきた、この「おてつぎ」の伝統が、ばったり途絶えたのは第二次世界大戦後、アメリカ軍の進駐により流入した消費文化のお陰と思われる。物量時代が手仕事を追っぱらってしまったのと、社会構造がすっかり変わったことが、その原因だが、それでも形式だけはまだ残っていて、「金封」「目録」などはデパートの専用コーナーで売っている。
ところで、ちょっとまたここで屁理屈を述べると、「つつむ」と「たたむ」ではまた、意味が大きく違うのだ。「つつむ」は「くるむ」よりはもう少し意識的だが、それでも包んでいる中身があることには変わりがない。「たたむ」となると、紙なり布なり、そのものだけで、中身はもはや、ない。通常、物をたたむ必要性というかその目的は、「容量を小さくコンパクトにすること」で、例えば、着物をたたむ、布団をたたむ、折りたたみ椅子、手紙をたたんで封筒に入れる、などである。
2005年 川村 晟 著