第八章

広辞苑(こうじえん)で、「おる」くと、・・・

線状せんじょうまたは平面へいめんであるはずのものにちからくわえて屈曲くっきょくさせる。まげかがめる。まげたわめる。・・・

広辞苑より引用

とある。

つづいて「おりがみ」は、 ・・・

折紙おりがみ室町時代むろまちじだいはおりかみ)ったかみとく奉書ほうしょとり檀紙だんしなどをよこふたつにったもので、公式こうしき文書ぶんしょ消息しょうそく進物しんもつ目録もくろく鑑定書かんていしょなどにもちいる。また、いろがみでつる風船ふうせんなどを子供こどものあそび。

広辞苑より引用

・・・とある。


 もちろん一番いちばんあとの「遊戯ゆうぎがみ」が、いま問題もんだいとしている「がみ」なわけだが、それがいつごろどこでだれがつくはじめ、どういう経路けいろひろまったのかは、ほとんどかっていない文献ぶんけんなり物的証拠ぶってきしょうこがきわめてまれなのだ。それもそのはず、記録きろく製本せいほん手間てまのかかった当時とうじ、ひまつぶしやたわむ程度ていどで、貴重きちょうかみ使つかってほんのページをよごすわけにはいかなかったようだ。

 「たたむ」が、ものをコンパクトにすることを意味いみするとさきべたが、ここで「がみ」の「おる」をわたしなりに定義ていぎすると、たたみつつひろげ、ひろげつつきだし、または、ふくらますなどして、ものかたちつくりだす」こと、だろうか。それらの作業全般さぎょうぜんぱんを「おりだす」「おる」の言葉ことばあらわしておこう。


 たぶんなが歴史れきしから推理すいりすれば、かみ発祥はっしょう中国ちゅうごくで、世界初せかいはつの「がみ」がまれただろうことだけはまちがいないおもう。そののちかみつたっていくにしたがって、世界せかい国々くにぐににそれぞれの「がみ」があらわれてはえ、ほんの一握ひとにぎりのがみらしきもの」が各所あちこちのこっているようだ。しかし、「がみ」がそのくに文化ぶんかのひとつにまで昇華しょうかし、またひろがったというれいは、世界せかいにただひと日本にほんのみと言える。
 
「おりがみようかみ」が「おりがみ」という商品名しょうひんめいで、全国ぜんこく津々浦々つつうらうらられているのは、日本にほんならではの光景こうけいだが、かんがえてみればこれもふしぎな現象げんしょうなのだ。

なかかみかたちは、全部ぜんぶ全部ぜんぶといっていいほど、すべて長方形ちょうほうけいである。まわりをぐるっとわたして、新聞しんぶん雑誌ざっし、ノート、はがき、半紙はんし、ちりがみしかり。「正方形ちょうほうけい」は視覚的しかくてきにもどこか不自然ふしぜんでなじまない。
 では、それにもかかわらず、がみ用紙ようしはなぜ真四角ましかくなのか?理由りゆう簡単かんたん長方形ちょうほうけいだとたてよこ二通にとおりにしかかさねられないのに、正方形せいほうけいだとたてよこななめと三通さんとおりにりかさねられる。このたった一通ひととりのちがいが「おりがみ」の創造性そうぞうせい決定的けっていてき寄与きよをしたのだ。ふた方向ほうこうりではすぐにきづまってしまうのに、みっ方向ほうこうだと、すすむにしたがって千変万化せんぺんばんかするのである。これはふしぎ、見事みごとというほかない。

 「がみ」がなければ正方形せいほうけいかみはこの存在そんざいしないといってはいすぎだろうか。げん外国がいこくでは真四角ましかくかみ市販しはんされていない。むかし、医者はいしゃくとくすり正方形せいほうけいのハトロンつつんでくれたものだが、それもいまはほとんどられなくなった。

2006年 川村 晟 著